CALENDAR
棟方志功画伯と安川カレンダー
60年以上にわたり愛される “棟方志功 板画カレンダー”
1958年から、安川電機は世界的な板画家、棟方志功画伯の優れた板画を題材にしたカレンダーを制作し、国内外のお得意先やお取引先にお届けしています。毎年、棟方画伯の様々な作品をカレンダーに掲載し、ファンや美術愛好家から高い評価をいただいています。和紙に印刷された板画は台紙から剥がせるため、カレンダーとしてお使いいただいた後、額装や表装をして長く楽しんでいただけるのも高評の理由です。安川カレンダーは、当社だけが提供している製品です。
作品の選定から、制作、印刷に至るまで制作は一年がかり。当社(安川グループ)、棟方画伯(画伯没後は棟方板画館)、印刷所との緊密なコンビネーションによって、優れた板画カレンダー作りのために努力を重ねています。
1975年カレンダー
羽海道(1月 山形 尾花沢の柵)より
1976年カレンダー
瞞着川板画巻(11月)より
安川電機と棟方志功画伯との出会い
1951年、当時の宣伝課長が棟方画伯の板画に魅了され、東京・荻窪のアトリエを訪問したことから始まりました。その後、施設に飾る作品やPR誌のカットを依頼する中で、カレンダー制作へと発展しました。ただ1951年当時、日本の画壇における版画の地位はさほど高いものとはいえず、棟方画伯も無名の作家に近かったようです。ところが同年のスイス・ルガノ国際版画展で「女人観世音」が日本人初の優秀賞を受賞し、1955年に「釈迦十大弟子」がサンパウロ国際美術展にて最高賞に選ばれるなど徐々に海外での評価が高まり、その後日本においても広く認められるようになりました。
最初の棟方板画カレンダー
(1958年PR誌「安川ニューズ」の付録として制作)
1971年カレンダー
西海道棟方板画(表紙 安川電機本社の柵)より
日本各地を旅して取材した「海道シリーズ」
安川カレンダーの長い歴史の中でも、1971年に始まった「海道シリーズ」は特に意義深いものです。既に制作された作品から選んだのではなく、棟方画伯と安川電機担当者が数年間にわたり、寝食を共にしながら日本各地を取材し、この「海道シリーズ」を生み出しました。九州を旅する「西海道」を皮切りに、四国を描いた「南海道」、松尾芭蕉の『奥の細道』の足跡に青森を加えた「奥海道」、『奥の細道』に沿った会津若松や尾花沢などを描いた「羽海道」など毎年、秀でた海道シリーズを生み出しました。
取材旅行中の棟方画伯
文化事業(メセナ)としての安川カレンダー
安川カレンダーは元々、年末にお客さまや取引先に贈呈する目的で作られていましたが、一般の方からのご購入に関する問い合わせが多くなったため、(財)棟方板画館のご理解を得て、2005年から一般販売が開始されました。このカレンダーは安川電機の重要な文化事業の一環として位置付けられており、棟方画伯の作品を広く紹介するために、毎年カレンダーのデザインを変え、継続的にその美術的価値を伝えています。